私対世界   Ⅱ   

                                             
                                             
        私対世界   Ⅱ                              
                                             
                                             
                                    
  


                                           
  きっとこれで生きて行く                                
                                           
石が存在だとは知っていた                               
が、世界が存在だとは知らなかつた                           
世界といえど石と何ら変わらない                              
私に対する存在でしかなかったとは                             
世界に人が在り私に対する私の意味であった                         
この世界が石と同じであったとは                              
世界の無関心、喜ぶものでも、悲しむものでもなかった                    
無関心が本質であるということだけ                             
が、世界は可愛いい                                    
その世界の一部でもある私というものも又可愛いい                      
そこには、私という不確かなものが                             
永遠の存在としての形を得                                 
石が泣き、石が喜びと                                   
今、私は世界を私と同じ存在として見ることが出来る                     
人も街も草木生きものも                                  
私に対する世界としての                                  
私における私自身のように                                 
                                             
  私というものの記憶                                  
                                           
私はもう一人の私を求めてはいない                           
私の全体のもう一人                                  
私の中のもう一人と私が一緒に感じられる                          
私の全体としてのもう一人                                 
多く私は私の中のもう一人で私を見聞き私を感じてきた                    
いつも二人で助け合いながら                                
が、いま私ともう一人の私を支えている全体の私というものが感じられ             
その私との対話をこそ喜び                                 
時々訪れるこのもう一人の私                                
遠い遠い記憶の底の私                                   
                                             
  私が常に世界の主体となって                              
                                             
私が花を見る花が在るから私は見ることが出来るのだが                    
私が見ようとするから花が見えそこに関係と意味が始まり                   
私が常に主体となって                                   
私という人の意識がなければ                                
世界が存在していても私においては無いという自明                      
人以前の世界、世界は在っても無いという                          
人において初めて現れた世界の意味                           
この世界の意味こそが人の根源的意味                          
植物や動物の意味とは違う                               
人というものの                                      
人において構成された世界の意味                              
驚き、一体、分身、                                    
世界への意味こそが私の意味                                
私とは意味それ自体のことであり                              
世界とはその私が意味づけたもの                              
キーツの驚き、リルケの分身、ディキンソンの一体 

                     
  人は愛する能力を持ちながら                              
                                             
私が道を歩いて行く                                    
透明なオーラのような意識を漂わせ                             
足が地についていても私は道から浮いているように思え                    
私というものは意識を持って浮いて在る存在                         
しかし、この意識は道に道端の石に草木に                          
目と耳と心とで自在につながるもの                             
心が大地よと言って横たわれば                               
目が木よと言って抱けば                                
耳が虫よと言って顔寄せれば                              
私は彼等に包まれ                                   
彼等が生きているから私も生きようと                            
私が求めさえすれば世界は応えてくれる                           
私という意識は存在の子供なのだ                              
石が草が私の意識を生きてあり                               
私という存在は彼等の意識を生きてあるのだった

                       
  共感など神に心を開けば得られるもの                          
                                             
私は共感が欲しいわけではない                               
私は奇跡を生きたいだけ                                  
一人でドングリを植え続ける人のように                           
私という奇跡を生きていたいだけ                              
生きるということが今の私にあってこれ以外は考えられず                   
私は私を生きようとする                                  
私が見、聞き、考えること                                 
かつて無数の私が見、聞き、考えてきたことにしか過ぎないのだが               
人の奇跡とは現象的にはそれだけのことだが                         
しかし、これは時空の永遠の中では石が喋っていることに等しく              
奇跡に外ならないのだ                                 
かつて石だった私が今喋っているという                         
人は充分に人の奇跡を生きて来ているのだった                        
                                             
  この時空の中の生身の私                                
                                             
生身とは生身                                       
病んでも悲惨に出会っても変わらない心のこと                        
一寸先は闇を言葉でははなく心で感覚した所のもの                      
生きているということを、明日の事は知らないと言い放つのではなく              
今日の事は全て知っていると言える心のこと                         
生身とは世界への五体倒置                                 
言葉の上での自由ではなく                                 
私という客観ではなく                                   
全てを含んだところの生きているということ                         
明日ここに居ないかも知れない私の為に                           
今日辛夷の花が咲いた                                   
今日春風が吹いた                                     
今日私はヒメオドリコソウタネツケバナをテーブルに飾った                 
今日私は人に会いに出掛けると                             
                                            
  あと少しの楽しみと                                
                                             
人生にもっと時間があったら                                
もっと違った境遇に生まれたならと                             
ほとんどこうしたことを考えていたかつての私                        
人生とは相対的なものではなく絶対的なものであった                     
時間とは明日にあるのではなく                               
何かと誰かと比べてあるものでもなく                            
何かがあるから人生があるのでもなく                            
私対世界の構図の中に常に生身で存在するもの                        
状況とは相対化するものではなく絶対化するもの                       
運命、捉、障害、どれも、あと少しの楽しみと味わうもの                   
今日が間もなく終わる                                   
あと少しの楽しみと味わう本のように                            
あのカラスたちはあの小母さんのもの                            
あのネコたちはあの小父さんのもの                             
毎朝公園に餌を届けている人のあと少しの楽しみのように                   
これは私の困難、私の喜びと味わうもの                           
                                           
  私の意味                                        
                                           
社会的存在を生きる時、多く意味は社会的有用性の中で意味を捉えようとしたが         
私が月に一人で生きた時、私の生きる意味はと考えて見たいのだった              
家族に社会に生まれたのではあるが                             
私の個的な意味、                                     
社会、自然とは全体であり、けっして私の部分ではない                    
ロビンソークルーソーを生きるのではない、この社会にあっての客観の私ではない主観の私    
それが出来なかったら私の個的な存在意味はない                       
私は奇跡の人ではなく                                   
人の奇跡を生きていたいのだった                              
人それ自体が奇跡的存在であるなら                             
この感情が味わえないはずわなく                              
妻が眠っている、子が眠っている、ブンが眠っている                     
私は眠らないで見守っているという                             
私とは世界を見守りたいのだった                              
私が生まれた世界、私が生んだ世界                             
                                             
  在ることそれ自体が意味                                
                                           
先づ私が在るから                                    
意味を考える私という者が在るから                           
世界のあらゆる事物に意味が生まれ                             
私が居なければ只の有                                   
あらゆる事が私が居ても無いとするならそれが真の無意味                   
在るということそれ自体が意味                               
無いよりは在るが意味                                   
私は私の生命をかつてあのガンの告知と手術の痛みの中でも                  
ただこの世界に在ることそれ自体を願った                          
生涯に渡った不安、痛み、絶望であってすら                         
在ることそれ自体の中に求めた希望、意味                          
突然に襲ってくる死は私は知らない                             
しかし、迫ってくる死、痛み、不安は私のもの                        
私が所有可能な死は私の意味                                
                                             
  一つの発見                                         
                                             
私の時間、私の家族、私の記憶、私の喜び、私の世界                     
私が見るもの、私が聞くもの、私が食べるもの                        
私が話すもの、私が触れるもの                              
私が発見するものとは、これら全てのものに名付けられた                  
私というものの名札                                  
私の愛しているこの世界                                  
誰が愛さなくなっても私が愛すこの世界                           
私はここから生まれ、ここへ帰って行くもの                         
私は子に対するように、家族に対するように                         
この世界に対して                                     
何の遠慮も、隔てもいらない                                
私の親のように対し                                    
子のように対していけばいい 

                               
  私にとって意味あることが人にとっての意味に                      
                                             
私が愛しているから私にとって意味あることが人にとっての意味となり             
私が愛しているとはこの世界のはかなさと喜びを知っているということだけ           
私はいま少し原発事故が起きなければ                            
いま少し地震がこなければと願っているだけ                         
こんな私にとっての意味と願いは                              
けっして人の意味にならないはずはないというほどのもの                   
                                           
  現実観察                                        
                                            
私は見る、毎日見る、何十年を欠かさず見る                         
科学の目、分析の目など知らず                               
しげしげと見る                                      
成長と変化とを只見る                                   
植物に対する感情と何ら変わらず                              
                                             
  現実味覚                                          
                                             
私は食べる、毎日食べる、一日五度